人と者の間には

日本語って難しいです。

たった一文字間違えただけで
とんでもなく違う意味に
変わってしまう場合があります。

シンフォニーホールで
技術者として働いていた頃、
“支配人”という
役職の人がいました。

ある時考え事をしていたら
唐突に質問を受けて、
「支配人がなさいました」が
正当な答えのところ、

つい口を出た言葉は
「支配者の仕業です!」

“人”と”者”が違うだけで
後半の言葉までが
影響を受けたんですね(ーー;

同じように”観察”と”監視”も
見るという行為は同じで
音の響きもにているけれど
まるで違う行為です。

そしてこの二つを混同して
観察すべき場面で
監視してしまっている人が
けっこう多いんです。

 

観察というのは、
例えば”朝顔の観察”のように
育っているところや
プラスの面を探す行為です。

それに対して監視は
“監視カメラ”が行うように
取り締まるとか、
疑いの目で見る行為を言います。

例えばセラピストや
コーチなどの職にあるに人は
“観察が生命”と言えるほど
大切な要素です。

このとき”監視”をしてしまったら、
クライアントとのラポール、
魂レベルでのつながりを持つ機会は
永遠に訪れないでしょう。

 

そこまで特殊な職になくとも
職場で、家庭での人間関係において
すべからく”観察”の態度をもって
人と接することは重要です。

他人のアラばかり探していると
頭のなかがゴミで一杯になるので、
まともに思考できなくなります。

反対に他人の美徳を、
すばらしい面を探す習慣をもてば
不思議と身の周りが
親切な人であふれてきます。

 

これは綺麗ごとでも何でもなく、
誰にでも体験可能な事実です。

ぜひとも”監視”の眼になってないか
ときどき意識してみて下さいね。