困った

人間はときに、
他人と別人であると同じほどに
自分とも別人である
– ラ・ロシュフーコー –

はて?
毎朝、目に留まった言葉について
自分の考えを書いていますが、
今日のは困りましたね。

他人と別人は当たり前。
それでは自分と別人というのは
本当の自分と違う自分を
演じているということでしょうか?

それは「本当の」「自分」という
二重に怪しげな概念の上に成り立つ
嵐の日のエンパイアステートビルのような
あまりに不安定な考えでは?

突き詰めて言えば
自分と他人の区別などなくなるし、
「本当」などというのは
瞬間ごとに変わっていくだろうから、
ロシュフーコーさんは
当然なことを言っている気がする。

というか
それに思い至らない人が
昔も今もいるのかな?