人生を速読しないために

年があけました。

イベント嫌いの私が、
なぜか初日の出だけは
毎年観ています。

でも去年から
海だとか山だとかに行かずに
自分の部屋のベランダから
観るようになりました。

私には珍しいことに
面倒くさいとかではなく、
あまり特別にせずに
日常の中に初日の想い出を
刻んでおきたいからです。

地平線が明るくなって
もうそこにおひさまの気配が
はっきり感じられるのに、
なかなか顔を出さないのを
待っている時間は長いですね。

自分がやっていることが
なかなか形になってこない時の
待ちきれないあせりに
似ています。

種を撒いて芽がでないからと
土をほじくり返しても無駄なように
待つしかないときだって
時にはあるのでしょう。

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人生は一冊の書物に似ている。
馬鹿者たちはそれを
パラパラとめくっていくが、
賢い人間は念入りにそれを読む。
なぜなら、彼はただ一度しか
それを読むことができないことを
知っているから。
-ジャン・パウル-
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人生が書物なら
そこに速読の必要性は
みあたりません。

別に急がなくたって
あっという間に過ぎ去って
すべて過去になってしまうのだから
せいぜい落ち着いて
熟読した方が好いでしょう。

この、すべてが矢のように
過ぎ去ってしまうことと、
待っている時間が
異常に長く感じるということは
どんな関係なのでしょう?

 

ネコや恋人のように
追いかけると逃げて行く
性質でしょうか。

別に遠ざかっていくのでなく
近づき方がゆっくりなだけなので
逃げてるわけではないですね。

電車の先頭車両で
進行方向を向いているのと、
つり革につかまって
通り過ぎる景色を観ている時の、
景色の動き方の
違いに似ているのかも
しれません。

それならば、待つときも
じっくり取り組みたいときも、
視線の向け方によって
速度感を調整できるのでは?

そんなことを考えていたら、
ポンッと音をたてて
初日の出が終了しました(^^;

今年もよろしくお願いします。