ありのままで居ようとした蟻は、、

過去が現在に影響を与えるように、
未来も現在に影響を与える
– ニーチェ –

「過去に縛られる」などと言うけど
「未来に縛られる」とは、まず言いませんね。
なんとなく過去は悪者で
未来は夢にあふれたパラダイスみたいな
変な印象が付きまとっています。

もっとも「過去の栄光」などと
過去が光り輝いている人も少なくないけど、
でもその言葉が使われる状況は
今が悲惨と言うパターンで
結局過去は困ったちゃん扱いです。

未来でピンと来なければ
「将来」だったらどうでしょう?
随分嫌な感情が蘇りませんか?

そう、
親とか先生とかから
「そんなことでは将来困るから、、」
妙な理由で今を取り上げられた
あの悔しい日々が思い出されますね。

でもいつの間にか
自分も将来の呪いに嵌って
今を犠牲にするのが
当たり前になってしまっている。

キリギリスを横目で見ながら
蟻であることで安心する。
それで勤勉になるのは
たぶん好い事に違いないけど、
いくつになったら
今を楽しんで好いのでしょうね?