莫迦は休み休み

急な山を登りつめて腰をおろすとき
ほっと一息いれるのは限りない喜びであるが、
もし、永久にそうやって休息していろと強いられたら、
彼は幸福であるだろうか
– スタンダール –

「休み疲れる」というのは
飽きるほど休んでみないと解らないでしょうね。
私は偶然(必然?)にも、
浪人、交通事故、失業などなど
何度も休み飽きたのでよく解ります。

と言っても、普段は忘れていて
忙しすぎる状況を呪いかけたりしますが
「あの頃に比べたら今は天国!」と
今を祝福することが出来るのを幸いに思います。

クリスチャンには「祝福するのは神」と怒られそうですが
私はブッディストなので大丈夫かな?