評価と本質のせめぎ合い

坂があったとしたとき、
上から見れば下り坂ですが、下から見れば上り坂になります。
どちらの見方も間違いではありません。
立場により評価はさまざまですが、
それぞれが本質そのものではありません
– 奈良修一 –

”群盲象を撫でる”という言葉があります。
いまどきは、不適切な表現に分類されそうですが
そういうのも差別なのでしょうか?
たしか”百姓”もだめで”農業に従事する人”と言うらしい。
これなどは明らかに間違っていて、
本来”百の性をもつ”、すなわち”色んな事が出来る”という
むしろ誉め言葉だったはずが
ガラの悪い人がケナシ言葉に使うようになって
そちらが独り歩きしたみたいですね。

元に戻って
目の不自由な人たちが、象の色々な所を触って
それぞれ「象とは~のようなものだ」と言っている状況、
これは目が不自由な事ではなくて
自分の体験した(と思っている)事がすべてだと思う事、
そちらの方を揶揄した言葉だと思います。

でも、気にする人がいるなら
あえてこの言葉を使う必要もないでしょう。
誰だって、他の人には理解できない
傷つき方をしているのですから