おまけがメインでも、いいじゃないか!

好奇心というのは、道草でもあるわけです。
確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる。
手塚治虫

こんにちは!
おおばじょうしょうです。

このメールでは、繰り返しあなたに
目的志向の考え方は、効率的なようでいて
実は損をしているとお伝えしてきました。

確かに目的には早く確実に到達するものの
それ以外の”おまけ”のようなものを
すべて犠牲にしているのだと。

そのことに気がついたら
誰でも私と同じように
目的をもたない主義に転向するものと
愚かにも思っておりましたが、
どうやら主たる目的とおまけと
どちらが大切はその人次第のようで
損得や好い悪いとは
別な次元の話みたいです。

ただ、ピークは過ぎたものの、
目的志向、勝ち組礼賛、その他諸々
生まれたからには何かを達成するのが
人間の定めみたいな考え方が
まだまだ主流でしょうから、
私は私で今までどおり
そんな事は誰かに任せておいて
お気楽に生きる方法を探求し
お伝えしていく所存であります(^^;

 

”眼から鱗(うろこ)が落ちる”

気づきの瞬間を表現する言い回しです。
少し古い表現なので、今の人にはギリギリ
ピンと来ないかもしれません。

語源は、今日はじめて知りましたが
新約聖書のエピソードのようで、
目が見えなくなった人が、イエスのお弟子に
手を当ててもらったら、
「目から鱗のようなものが落ち」て
元通り目が見えるようになったというお話。

聖書が編纂された時代と地域では
目に鱗が張り付いてしまう
変な事故があったのでしょう。

それはともかく、
色眼鏡、偏見、思い込みの最中は
自分がそうなっていることに
気がつくことは出来ません。

何かの拍子(ひょうし)に
それは大抵の場合、あまり歓迎されない
事故であるとか故障でありますが、
むりやり日常から引き剥がされて
色眼鏡をはずした世界を
久しぶりに見ることで気が付きます。

ここで立ちはだかるのが
”被害者意識”という、実に厄介な
思考習慣であります。

自分の意志に反して
何かが行われたり、行われないときに
いつまでブツブツ文句言ってると、
むりやり現実をつきつけられる
せっかくの機会を失ってしまいます。

すべてを有難がるほど
一足飛びに”できた人”でなくても

せめて冷静になって
「いま何が起こっているのか?」と
自問自答する間抜けさがあって
調度良く鱗が落ちるというものです!