シュプレヒコールの波通り過ぎていく

感傷には常に何らかの虚栄がある
– 三木清 –

三木清さんって、哲学者ですね。
治安維持法に抵触したとかなんとかで
牢屋に入れられて無くなった。
中学校のとき、ベストセラーだった
岩波新書の本を買いましたけど、
あまりに私の頭が幼稚だったので
まったくわからずに終りましたっけ。

で、冒頭の言葉も
どんな文脈で語られたものなのか
さっぱり分かりませんけど、
言葉だけを追ってみると
感傷というのは、センチになるとか
しんみりするようなことであって、
虚栄とは見栄でしょうから、
センチには見栄の要素があるという事?
まぁ見栄というよりも
格好をつけるためのポーズというなら
思いつく人も居ないではない。

自分はどうか?と言えば
ほんの幼いころは泣き虫でした。
ワンワン泣くというよりも
ちょっと悲しいと涙目になってしまう。
そんな自分が恥ずかしくて
ある時期から泣けなくなったのでしたが、
成人してから、
たしか金八さんの加藤・松浦の巻きで
中島みゆきさんの『世情』をバックに
加藤が逮捕されるスローモーションを観ながら
涙が滝のように流れ出て、
そのあと、めでたく元の泣き虫に
戻りましたとさ。
めでたしめでたし