死ぬより大変なこと

新年からどうかと思うけど、
ずっと幼い頃から
疑問だったことについて。

それはチマタにありがちな、
「人間死んだ気になれば
なんだってできるはずだ!」
という決めゼリフです。

さすがに幼児の頃は
漠然とした違和感でしたが、
成長するに連れて
世の中には強い善人と、
そうでない人がいるのだと
わかってきました。

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禅の悟りとは、いつでも、どこでも
死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、
よく考えてみると、それは大変な誤りで、
いかなる場合でも、
平気で生きることであることがわかった。
-正岡子規-
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どの時期か不確かですが、
結核に苦しんだ晩年に
関係していると思われます。

その頃の状態を読むと、
たしかに生きている方が
はるかに大変です。

そしてさらに
「生き恥をさらす」という
表現もあるように、
身体の病気ばかりが
生きるのを大変にするとは
限らないようです。

 

べつに私は
死生観を一席ぶとうと
思ってはいません。

ただ先の決めゼリフ
「人間死んだ気になれば~」
というのは、
生き死にと縁のない
強い人間によるものだと
思うのです。

強いものが弱いものを
励ましたとしても
不自然ではありませんが、
もしあなたが、私と同じように
言葉の力で人を元気にしたいなら、
それでは足りません。

強いものに出来るのは
楽しそうに振舞うことで
相手を巻き込むこと、
自分もそうしたいと
思わせることで、

強い者固有の論理で
「あなたも頑張って!」
などと言ってしまうのは
時として暴力です。

弱者の気持ちを理解した、
あるいは理解したと思わせて
その上でリードするのでなければ、
自分がスッキリするだけです。

しかも、一緒になって
苦しんでいては、
役目をまっとうすることは
出来ません。

相手の痛みを理解しつつ、
自分は一歩引いて
冷静さを保つ必要があるのです。

おセンチな感傷は
有害無益です。

 

正月からややこしい話に
なってしまいましたが、
人を励ましたり叱ったりして
自分がスッキリしていたら
何か違っていないか
疑ってみるべきですね。